2010年2月25日

視力

 
しばらく付っきりでは無かったモノの見舞い時に
ふと感じた疑問「開眼状態に出会ってないな」と。
 
「目が開かないねー」と口にすると
「しばらくは見えてないみたい」との返答。
 
なるほど。「それなら開眼している時間も短いのも
道理かな」と思いつつ過ごしていると、遂に開眼での
状態に遭遇!
 
「良かった」素直にそう思った。
 
ただ開眼していても見えてないから目で追うなんて
芸当はまだまだ出来ません。
言葉を交し合うコトは、随分先だろうが目を合わせる
コトが出来るようになると、また違った喜びが
芽生えるのかな?と待ちわびる日々ですな。
 

2010年2月23日

名前

 
家族が増えたコトに伴い、役所関連への提出書類が
幾つかあって、我が子の名を幾つか記入しました。
 
苗字は既に長い付き合いなんだが、子の名はまだ
慣れてなくて不思議な感覚で。
そして、それらが印刷物や郵便物として手元に届くと
更に不思議な感覚を。
 
いずれこの新鮮な不思議な感覚は薄れて行くの
だろうけど感じる間は、この感覚を楽しみたいですな。
 

2010年2月22日

人・爪

 
我が子を初めて腕に擁いた際に感じたのは「人である」と。
想像していたのが、赤子と云うくらいなので肌も赤く、
皺くちゃなイメージを勝手に描いていたモノの、実際には
3.5kg超級であったからでもあるが、ふくよかな頬に代表
されるような立派な人物でした。早くも頼もしいな。
 
そして次に気付いたのは「爪がある」と。
無くてどーする?と突っ込まれればそれまでな点ではあるが
少し驚いた。大人のような強度は無いにしても、セロファンの
ような爪を見ながら人物としての基本的な機能は備わって
産まれて来ている訳で、母と同様に子も誕生と同時に自立に
向けた歩が進められるのだなと、感じた次第。
 

2010年2月21日

 
そんな訳で結果として、産科病棟に通う機会が増えました。

このとき感じたコトが今回の件名になってます。
 

今まで見舞などで訪れた多くの病棟では、病自慢が始まる

ような暗めの連帯感を少なからず感じる場面が多くありました。
 

今回足を運ぶ場面が増えた産科には、これからヤマを越える

人や越えた人など様々な境遇の人が過ごしてます。

がそこで最初に感じたのは「暗さより強さだな」と。

 

どう云った意味かというと「ヤマを越える」コトにより「母になる」と

同時に一層の自立を決意したかのような空気を纏っている人が

多いと感じた訳です。

 
そして「出産は病じゃないやな」と。病棟と云う表現は「医療補助が

必要な人が過ごす」と云う意味合いでは正しいのでしょうが

出産は病じゃないから、違和感タップリ。

 
それでこんな呼称はいかがかな?と。

違和感を感じる人は少なくないのでは?

2010年2月20日

生命の誕生

 
有難いコトに、家族が増えました。
この喜び足るや筆舌に尽くし難いモノがあります。
そして今から更に乗ぜられていくのだろうと思うと
これからの時間の重ね方が只管、楽しみです。
 
この件を本Blogで題材とするか?考えたものの
日々感じるコトや子から学ぶコトが多いような
イメージを抱いたので取り上げるコトとしました。
 
これから感じたコトを無作為に取り上げようと
思います。
将来、子がこの文章を見る日も遠くないん
だろうが、そのときの反応も楽しみですな。